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北元(ほくげん)第1代分裂期の王朝

昭宗(しょうそう)アユルシリダラ

在位 1370年5月〜1378年5月(8年2日)

漢字音写愛猷識理達臘(アユルシリダラ)

昭宗の人物データ

生年
不詳
在位
  • 1370年5月〜1378年5月
在位 8年2日長さは365名中146位
没年
1378年5月
死因
不詳365名中33名
即位経路
世襲
先代
  • 恵宗元昭宗は恵宗の子
次代
—
目立つ記録
  • 遷都1回(42名中9位タイ)

出典(死因・即位経路)

死因
新元史 巻二十六(恵宗四・昭宗)
即位経路
新元史 巻二十六(恵宗四・昭宗)

死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。

生涯

どんな皇帝か

明軍に大都を追われた元の朝廷を引き継ぎ、モンゴル高原の和林で宣光と改元した北元の皇帝である。

即位まで

恵宗(順帝)の長子で、母は高麗出身の奇皇后(完者忽都皇后)である。1353年に皇太子に立てられ、1368年に父とともに上都へ逃れた。1370年に父が応昌で没し、昭宗が位を継いだ。

治世と最期

翌月に応昌は明軍に落とされ、昭宗はわずかな騎兵と和林へ逃れた。逃れた騎数を元史は十数騎、新元史と明史は数十騎と書く。和林では拡廓帖木児(王保保)に国事を任せて宣光と改元した。宣光2年、拡廓帖木児が嶺北で徐達の明軍を大破し、新元史はこれより明軍は砂漠を渡らなくなったと書く。翌年には高麗に使者を送って助力を求め、このとき高麗は和林の朝廷を北元と呼んでいた。1378年、金山で没し、群臣が昭宗の廟号を奉った。跡を継いだトグス・テムルを、新元史は弟とし、明史は子と書く。明史には宣光の元号も昭宗の廟号も出てこず、元の嗣君、元の太子と呼ばれている。新元史の史臣自身が、昭宗より後は記録が乏しく、宣光年間のことがわずかに残るだけだと述べている。

在位中の出来事(2件)

遷都1370年6月10日応昌(応昌府) → 和林(カラコルム/Karakorum)
改元1371年元号を「宣光」とする

即位経路が「世襲」の120名をデータベースで見る

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