
明第1代統一王朝
洪武帝朱元璋
在位 1368年1月23日〜1398年6月24日(30年160日)
姓朱諱元璋字国瑞廟号太祖諡号高皇帝元号洪武
洪武帝の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 明史 本紀第三(太祖三)
- 即位経路
- 明史 本紀第一・第二(太祖一・二)
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
明の太祖は朱元璋で、布衣から起こり、1368年に皇帝の位に即いて国号を明とした。
即位まで
明史は、旱蝗と疫病で父母と兄を亡くした朱元璋が、頼る者もなく皇覚寺に入って僧となったと記す。1352年、郭子興が濠州で挙兵すると、朱元璋はこれに入り、子興は養女の馬氏を妻わせた。1355年に子興が卒すると、韓林児は郭天叙を都元帥、張天祐と朱元璋を副元帥に任じたが、朱元璋は人に制されるのを拒んだ。同じ年、朱元璋は長江を渡って采石・太平を取り、郭天叙と張天祐が戦死すると、子興の部将はことごとく朱元璋に帰した。1363年には鄱陽湖で陳友諒と戦い、友諒は流れ矢に中って死んだ。1367年には徐達が平江を落とし、張士誠を捕らえた。1368年、朱元璋は南郊に天地を祀って皇帝の位に即き、天下の号を明、元号を洪武とした。
治世と最期
1380年、左丞相の胡惟庸が謀反を企てて誅され、中書省は罷められ、丞相などの官は廃された。1392年、皇太子の朱標が薨じ、朱元璋は皇孫の允炆を皇太孫に立てた。1393年、凉国公の藍玉が謀反の罪で誅された。1395年、朱元璋は群臣に、嗣君は丞相を復置してはならないと諭した。1398年、朱元璋は不豫となり、西宮で崩じた。明史の本紀は病名を記さない。遺詔は、皇太孫の允炆が大位に登るべきだと命じた。明史の本紀が朱元璋の年を記す二か所から生年を引くと、1328年と1329年になり、1年ずれる。
在位中の出来事(40件)
改元1368年2月元号を「洪武」とする
立后1368年2月洪武元年正月乙亥、即位と同日に馬氏を皇后に冊立。
被反乱1369年庆阳張良臣の反乱
被反乱1370年慈利土官覃垕の乱
被反乱1377年威茂蛮の反乱
被反乱1378年五開蛮の反乱(第一次)
被反乱1379年洮州十八族番の反乱(第一次)
被反乱1379年松州蛮の反乱
被反乱1379年眉県賊の反乱
大赦1380年洪武十三年五月乙未、大赦。
残り30件を表示
被反乱1380年陽春蛮の反乱
大赦1381年洪武十四年三月丙戌、大赦。
被反乱1381年五渓蛮の反乱
被反乱1381年浙東山賊の反乱
被反乱1381年広州海賊の反乱
被反乱1383年龍泉山賊の反乱
大赦1384年洪武十七年三月甲子、大赦天下。
被反乱1385年思州蛮の反乱
被反乱1385年五開蛮の反乱(第二次)
被反乱1385年〜1389年麓川思倫發の反乱(第一次)
被反乱1388年東川蛮の反乱
被反乱1388年〜1395年越州蛮阿資の反乱
被反乱1389年九渓蛮(夏得忠)の反乱
被反乱1390年貴州蛮の反乱
被反乱1390年贛州賊の反乱
被反乱1390年西番の反乱
被反乱1390年施南・忠建蛮の反乱
被反乱1391年〜1392年五開蛮の反乱(第三次)
被反乱1392年都匀・畢節諸蛮の反乱
被反乱1392年建昌衛月魯帖木児の反乱
被反乱1394年〜1395年階・文軍乱
被反乱1395年洮州叛番の反乱(第二次)
被反乱1395年龍州趙宗壽の反乱
被反乱1395年奉議・南丹蛮の反乱
被反乱1396年郴・桂蛮の反乱
被反乱1397年沔県盗(漢・沔)の反乱
被反乱1397年水西蛮の反乱
被反乱1397年3月〜1398年3月古州蛮の反乱
被反乱1397年10月〜1398年5月麓川刀干孟の反乱(第二次)
被反乱1398年3月麼些蛮の反乱
明の歴代皇帝
16名の一覧- 第1代洪武帝1368–1398年病死
- 第2代建文帝1398–1402年諸説あり
- 第3代永楽帝1402–1424年病死
- 第4代洪熙帝1424–1425年病死
- 第5代宣徳帝1425–1435年病死
- 第6・8代正統帝1435–1449年 / 1457–1464年病死
- 第7代景泰帝1449–1457年諸説あり
- 第9代成化帝1464–1487年病死
- 第10代弘治帝1487–1505年病死
- 第11代正徳帝1505–1521年病死
- 第12代嘉靖帝1521–1567年病死
- 第13代隆慶帝1567–1572年病死
- 第14代万暦帝1572–1620年病死
- 第15代泰昌帝1620年諸説あり
- 第16代天啓帝1620–1627年病死
- 第17代崇禎帝1627–1644年自尽
関連動画
当サイトとは無関係の外部YouTubeチャンネル「鳥人間 中国史三昧」様が制作・公開されている解説動画です。