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康熙帝の肖像

清(しん)第4代統一王朝

康熙帝(こうきてい)玄燁(げんよう)

在位 1661年2月5日〜1722年12月20日(61年332日)

姓愛新覚羅(あいしんかくら)諱玄燁(げんよう)廟号聖祖(せいそ)諡号仁皇帝(じんこうてい)元号康熙(こうき)

康熙帝の人物データ

生年
1654年5月4日
在位
  • 1661年2月5日〜1722年12月20日
在位 61年332日8歳で即位(数え年)・長さは365名中1位
没年
1722年12月20日69歳(数え年)267名中長寿順17位タイ
死因
病死365名中167名
即位経路
世襲
先代
次代
目立つ記録
  • 立后3回(202名中5位タイ)
  • 皇太子廃立2回(27名中2位タイ)

出典(死因・即位経路)

死因
清史稿 巻八(聖祖本紀三)
即位経路
清史稿 巻六(聖祖本紀一)

死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。

生涯

どんな皇帝か

三藩(さんぱん)の乱を鎮め、台湾(たいわん)を降し、ロシアとネルチンスクで国境を定めた清の皇帝である。清史稿(しんしこう)の論賛(ろんさん)は、位を受け継いだ君でありながら、実際の働きは国を興したのに等しいと評している。

即位まで

順治帝(じゅんちてい)の第三子である。順治帝(じゅんちてい)は遺詔(いしょう)で康熙帝(こうきてい)を皇太子に立て、索尼(そに)・蘇克薩哈(すくさは)・遏必隆(あつひつりゅう)・鰲拝(おうはい)の4人を輔臣(ほしん)に任じた。1661年に順治帝(じゅんちてい)が没し、康熙帝(こうきてい)は幼くして即位した。

治世と最期

親政を始めた年に、鰲拝(おうはい)が同じ輔臣(ほしん)の蘇克薩哈(すくさは)を一族ごと殺した。康熙帝(こうきてい)は力の強い少年の侍衛たちに相撲の遊びをさせておき、参内した鰲拝(おうはい)を取り押さえさせて獄に入れた。1673年に呉三桂(ごさんけい)らの撤藩(てっぱん)の願いを聞き入れると、呉三桂(ごさんけい)はその冬に挙兵し、乱は1681年に孫の呉世璠(ごせいはん)が自殺するまで続いた。晩年には皇太子の胤礽(いんじょう)を廃し、翌年いったん戻したのち、1712年に再び廃した。1722年に暢春園(ちょうしゅんえん)で病み、危篤となった日に皇四子(こうしし)の胤禛(いんしん)(雍正帝(ようせいてい))を召して位を継がせる詔を伝え、その夜に没した。雍正帝(ようせいてい)が遺詔(いしょう)を書き換えた、あるいは毒を盛ったという話は後世に広まったもので、清史稿(しんしこう)は本紀(ほんぎ)にも隆科多(ろんこど)の伝にもそうした記述を載せていない。

在位中の出来事(34件)

改元1661年2月5日元号を「康熙」とする
被反乱1661年10月山東于七の乱
大赦1665年康熙四年(1665年)三月辛卯、星変・地震を機とした肆赦。
立后1665年康熙四年(1665年)九月辛卯、赫舍里氏(輔政大臣索尼の孫女、後の孝誠仁皇后)を皇后に冊立。
大赦1667年康熙六年(1667年)七月己酉、上(14歳)の親政開始に伴う恩赦。
大赦1670年康熙九年(1670年)五月丙辰朔、孝康章皇后(生母)の尊謚追加・太廟升祔に伴う恩詔。
被反乱1673年〜1681年三藩の乱
被反乱1675年察哈爾布爾尼の乱
被反乱1675年麻城土寇鄒君升の乱
大赦1676年康熙十四年(1675年)十二月丙寅、皇子胤礽を皇太子に立てたことに伴う恩赦。
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立后1677年康熙十六年(1677年)八月丙寅、貴妃鈕祜祿氏(後の孝昭仁皇后)を皇后に冊立、同時に佟佳氏を貴妃とした。
大赦1682年康熙二十年(1681年)十二月癸卯、三藩の乱平定(雲南平定)を受けての恩詔。
大赦1687年康熙二十六年(1687年)五月庚辰、仲夏の旱害を機とした恩赦。
被反乱1688年湖廣督標裁兵夏逢龍の乱
立后1689年康熙二十八年(1689年)七月癸卯、貴妃佟氏(後の孝懿仁皇后)を皇后に冊立。
大赦1690年康熙二十九年(1690年)四月丁丑、旱害を機とした恩赦。
親征1690年噶爾丹(準噶爾)
大赦1696年康熙三十四年(1695年)十二月乙巳、平陽(山西)地震を機とした複数省の逋賦免除に併せた恩赦。
親征1696年噶爾丹(準噶爾)
親征1697年噶爾丹(準噶爾)
被反乱1698年〜1699年湖南山賊黄明・陳丹書の乱
被反乱1700年〜1701年四川打箭爐土蛮の乱
被反乱1701年〜1702年広東連山瑤の乱
被反乱1702年貴州葛彝寨苗人の乱
大赦1703年康熙四十二年(1703年)三月癸亥、万寿節(数え50歳)に伴う恩赦。
被反乱1707年貴州三江苗人の乱
皇太子廃立1708年康熙四十七年(1708年)九月丁酉、皇太子胤礽の廃位を天下に布告。
被反乱1708年浙江大嵐山賊張念一・硃三の乱
皇太子廃立1712年康熙五十一年(1712年)九月庚戌、復立されていた皇太子胤礽が再び廃された。
大赦1713年康熙五十二年(1713年)三月乙未、万寿節(60歳)に伴う恩赦。
被反乱1721年山東塩徒王美公等の乱
被反乱1721年台湾朱一貴起義
被反乱1722年4月福州駐防兵譁
大赦日付不詳康熙元年(1662年)三月(具体的な干支日の記載なし)、雲南平定を告廟祭陵した際の大赦。

清の歴代皇帝

11名の一覧

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