
元第12・14代統一王朝
文宗トク・テムル
在位 1328–1329年 / 1329–1332年(3年164日)
漢字音写図帖睦爾
文宗の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 元史 巻三十六付近(文宗紀)
- 即位経路
- 元史 巻三十二(文宗一)
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
トク・テムル(図帖睦爾)は武宗の次子で、明宗の弟である。1328年に泰定帝が崩じたのち、上都方との内乱のさなかに大都で文宗として即位し、のちにこれを制した。
即位まで
元史は、1316年に鉄木迭児らが英宗を皇太子に立てることを議し、武宗の長子の明宗は朔漠に出されたと記す。1321年、咬住の告げによりトク・テムルは海南に出された。泰定帝が即位すると琼州から召されて懐王に封ぜられ、1325年に再び建康へ出された。泰定帝が崩じると、燕鉄木児は、武宗に聖子が二人あり正統はそこへ帰すべきだと号令して上都派の平章を縛り、挙兵した。燕鉄木児が早く大位に就くよう請うと、トク・テムルは、大兄は朔方におられる、序を乱してよいものかと固辞した。それでも即位し、詔は、大兄の至るのを待つと述べた。
治世と最期
1329年、文宗は燕鉄木児に皇帝の宝を持たせて明宗の行在所へ送らせ、明宗は文宗を皇太子に立てた。王忽察都で文宗が明宗と宴をしたあと、明宗が崩じ、文宗は上都で再び即位して大赦した。後至元六年の順帝(のちの恵宗)の詔は、文宗が不軌を謀り、明宗に恨みを飲ませて崩じさせたとして、文宗の廟主を除かせた。天暦二年に奎章閣学士院が立てられ、至順二年に経世大典の編纂が終わった。1332年、文宗は崩じた。元史の文宗紀の崩の条は死因を記さない。元史の寧宗紀は、文宗が崩じると皇后が末命を導き、明宗の子に位を伝えたとする。
在位中の出来事(14件)
被反乱1328年9月8日〜1328年12月26日天暦の内乱(上都の乱)
改元1328年10月16日元号を「天暦」とする
大赦1328年10月16日
被反乱1329年1月〜1329年9月四川囊加台の乱
大赦1329年1月12日
立后1329年3月4日
大赦1329年9月8日
改元1330年元号を「至順」とする
被反乱1330年〜1331年雲南反乱(秃坚・伯忽の乱)
被反乱1330年〜1331年広西・湖広瑶族反乱(第一次)
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大赦1331年
被反乱1331年海南黎族の反乱
被反乱1332年2月広西瑶族反乱(第二次)
大赦1332年6月24日