成漢(五胡十六国)第4代分裂期の王朝
李班
在位 334年8月11日〜334年(108日)
李班の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 晉書 載記第二十一 李班
- 即位経路
- 晉書 載記第二十一 李班
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
李班は成漢の李雄の兄の李蕩の子で、李雄の実子を差し置いて太子に立てられ、李雄の死後に位を嗣いだ。即位からまもなく、実子でないことに不平を抱いた李雄の子の李越らに殯宮で殺された。
即位まで
字は世文で、華陽国志によれば李蕩の第四子として幼くして李雄に養われた。はじめ平南将軍に任じられ、のちに太子に立てられたが、その年齢を華陽国志は二十六歳、十六国春秋の輯本は十六歳とする。李班は何点や李釗を師とし、貴人が荒田を広く占めることを批判して田の均分を説き、李雄に納れられた。華陽国志は、李班の性格が軽躁で田猟を好んだことを欠点として挙げている。李雄が病んで古傷が膿むと、李雄の子の李越らは嫌って遠ざかったが、李班は膿を吸い薬を嘗めて看病した。334年に李雄が死ぬと李班が位を嗣ぎ、李寿を録尚書事として政事を委ね、自らは喪礼に専念した。
治世と最期
江陽に鎮していた李越は、李班が李雄の実子でないことに不平を抱き、喪に駆けつけて弟の李期とひそかに李班を除こうと図った。李玝は李越を江陽に帰し李期を葭萌に出すよう勧めたが、李班は李雄がまだ葬られていないことを理由に遣らなかった。太史令の韓豹が宮中に陰謀の兵気があると奏しても、李班は悟らなかった。同じ年、李班が夜に哭していたところを李越が殯宮で殺し、李雄の子の李期が位を嗣いだ。資治通鑑によれば、李越は李班の兄の李都も殺し、任太后の令を偽って李班に罪を着せて廃した。殺した者を晋書の載記と資治通鑑は李越とし、十六国春秋の輯本は李越と李期の二人、魏書は李期とし、華陽国志は李班の条で二人、李期の条で李越とする。李期は李班に戻太子と諡したが、華陽国志によれば、のちに李寿が哀皇帝と追諡した。