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光武帝の肖像

後漢(ごかん)第1代統一王朝

光武帝(こうぶてい)劉(りゅう)秀(しゅう)

在位 25年8月5日〜57年3月29日(31年244日)

姓劉(りゅう)諱秀(しゅう)字文叔(ぶんしゅく)廟号世祖(せいそ)

光武帝の人物データ

生年
前5年1月15日
在位
  • 25年8月5日〜57年3月29日
在位 31年244日30歳で即位(数え年)・長さは365名中21位
没年
57年3月29日62歳(数え年)267名中長寿順31位タイ
死因
病死365名中167名
即位経路
自立帝号を新たに称した
先代
—
次代
  • 明帝後漢明帝は光武帝の子
目立つ記録
  • 皇太子廃立1回(27名中4位タイ)
  • 親征7回(109名中4位タイ)

出典(死因・即位経路)

死因
後漢書・巻一上・巻一下 光武帝紀
即位経路
後漢書・巻一上・巻一下 光武帝紀

死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。

生涯

どんな皇帝か

昆陽(こんよう)の戦いで王莽(おうもう)の大軍を破って名を上げ、河北(かほく)から立って後漢(ごかん)を開き、天下を一つにした皇帝である。

即位まで

前漢(ぜんかん)の高祖(こうそ)の九世の孫で、父は南頓(なんとん)令の劉欽(りゅうきん)である。王莽(おうもう)の末の飢饉(ききん)のなか、22年に宛で兵を挙げた。23年に更始帝(こうしてい)が立てられ、同じ年の昆陽(こんよう)の戦いでは決死の兵三千で王莽(おうもう)軍の中堅を衝き、百万と号した軍を潰走させた。兄が更始帝(こうしてい)に殺されると、宛に赴いて謝り、自分の功も誇らず喪にも服さなかった。24年に邯鄲(かんたん)を落として王郎を誅(ちゅう)し、内通の文書数千通を見ずに焼かせた。更始帝(こうしてい)に兵を解くよう求められても、河北(かほく)がまだ平らいでいないとして応じず、ここから更始帝(こうしてい)と離れた。25年、諸将の推戴を受けて鄗(こう)の南で即位し、建武(けんぶ)と建元(けんげん)した。

治世と最期

27年に赤眉(せきび)が降って高皇帝(こうこうてい)の璽綬(じじゅ)を差し出し、36年には公孫述(こうそんじゅつ)が成都(せいと)で敗れて死んだ。隴(ろう)・蜀(しょく)を平らげてからは、危急でない限り軍事を語らず、功臣を退けて文吏を用いた。39年、州郡に田の面積と戸口を調べさせ、40年には不正をした郡守(ぐんしゅ)十余人が獄死した。天文志(てんもんし)と資治通鑑(しじつがん)は、光武帝(こうぶてい)がのちにこの処刑を悔やんだと記すが、本紀(ほんぎ)はこれを記さない。54年に群臣が封禅(ほうぜん)を勧めたときは、民の怨みが腹に満ちているのに天を欺くのかと退けた。56年に泰山で封禅(ほうぜん)を行い、中元(ちゅうげん)と改元(かいげん)した。57年に南宮前殿(なんきゅうぜんでん)で没し、遺詔(いしょう)で文帝(ぶんてい)にならった倹約を命じた。

在位中の出来事(39件)

改元25年8月5日元号を「建武」とする
大赦25年8月5日
大赦26年
大赦26年
立后26年
親征26年五校(別号諸賊、独立群雄・未服属)
被反乱26年真定王劉楊・臨邑侯讓の謀反
被反乱26年〜29年彭寵の乱
被反乱26年〜27年鄧奉の乱
大赦27年
残り29件を表示
大赦27年
親征27年赤眉残党(独立群雄・未服属)
親征27年邓奉(元・破虜将軍、既に服属していた漢の武将による反乱)
被反乱27年〜28年張豐の乱
大赦28年
大赦29年
親征29年庞萌・蘇茂(庞萌は元・平狄将軍で既に服属していた漢の武将による反乱、蘇茂は更始配下から続く未服属の群雄勢力)
被反乱29年〜30年龐萌の乱
被反乱30年楽浪王調の乱
大赦31年
親征32年隗囂(独立群雄・西州大将軍を自称し後に漢に反した勢力、本タスク指示により統一戦争扱い)
親征32年潁川盗賊(既に服属していた漢の郡県内の武装蜂起)
被反乱32年潁川盗賊の蜂起
被反乱32年河東守兵の叛乱
被反乱32年張歩の再叛(琅邪への逃亡蜂起)
親征35年公孫述(独立群雄・巴蜀に自立し天子を称した勢力、統一戦争扱い)
被反乱40年〜43年交阯・徴側(微側)の反乱
立后41年
被反乱41年妖巫李広の皖城蜂起
被反乱42年史歆の乱
皇太子廃立43年
被反乱43年妖巫単臣・傅鎮の原武蜂起
被反乱45年安定属国胡の叛乱
被反乱47年南郡蛮の叛乱
被反乱47年〜49年武陵蛮の叛乱
大赦48年
改元56年元号を「中元」とする
大赦56年
被反乱56年参狼羌の武都侵寇・鎮圧

後漢の歴代皇帝

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