後漢第5代統一王朝
殤帝劉隆
在位 106年2月13日〜106年9月21日(220日)
姓劉諱隆
殤帝の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 後漢書 孝和孝殤帝紀
- 即位経路
- 後漢書・巻四 孝和孝殤帝紀/巻十下 皇后紀下(和熹鄧皇后)
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
生まれて百余日で即位し、鄧太后が政を執るなか、即位したその年のうちに没した後漢の皇帝である。後漢書の賛はその早世を嘆く。
即位まで
和帝の末子である。和帝の皇子は十数人が夭折したため、後に生まれた子は民間に隠して育てられており、群臣は誰もその存在を知らなかった。106年の初めに和帝が没すると、長子の平原王には病があったので、鄧皇后が生まれて百日余りの隆を民間から迎え、その夜に即位させた。周章伝と五行志は、鄧太后が幼い子を自分の子として育てようと望んで立てたと書く。
治世と最期
即位とともに鄧太后が朝政に臨み、重臣の張禹を宮中に住まわせた。同じ年、太后の兄の鄧騭が車騎将軍となった。太后は皇帝が幼いので自分がしばらく聴政を助けると詔して大赦し、御膳の珍品を減らして宮人を庶民に戻した。106年のうちに没した。没した日を後漢書の本紀は辛亥とし、資治通鑑は辛卯とする。死因はどの書にも無く、このサイトの死因が病死となっているのは、乳児の死として自然死とみる推定による。鄧太后は兄らと禁中で策を定め、清河王の子を迎えて立てた。
在位中の出来事(2件)
大赦106年7月3日
改元日付不詳元号を「延平」とする