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後漢(ごかん)第11代統一王朝

桓帝(かんてい)劉(りゅう)志(し)

在位 146年8月1日〜168年1月25日(21年182日)

姓劉(りゅう)諱志(し)廟号威宗(いそう)

桓帝の人物データ

生年
132年
在位
  • 146年8月1日〜168年1月25日
在位 21年182日15歳で即位(数え年)・長さは365名中53位
没年
168年1月25日36歳(数え年)267名中長寿順151位タイ
死因
病死365名中167名
即位経路
擁立
先代
  • 質帝後漢桓帝は質帝の同族(遠縁)
次代
目立つ記録
  • 改元7回(327名中10位タイ)
  • 立后3回(202名中5位タイ)
  • 被反乱31回(289名中8位)

出典(死因・即位経路)

死因
後漢書 巻七 孝桓帝紀
即位経路
後漢書・本紀第八章 孝桓帝紀

死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。

生涯

どんな皇帝か

梁(りょう)冀(き)に擁立され、のちに宦官(かんがん)と謀って梁(りょう)冀(き)を滅ぼしたが、政の実権は宦官(かんがん)に移り、党錮(とうこ)の禁が起きた後漢(ごかん)の皇帝である。

即位まで

章帝(しょうてい)の曾孫(そうそん)で、祖父は河間孝王(かかんこうおう)開、父は蠡吾侯(れいごこう)翼であり、父の死後に侯を継いだ。146年、梁(りょう)太后(たいこう)は妹を娶(めと)らせるために彼を夏門亭(かもんてい)に召していたが、質帝(しつてい)が没すると兄の梁(りょう)冀(き)と宮中で策を定め、数日後に彼を南宮(なんぐう)に迎えて即位させた。梁(りょう)冀(き)伝は、聡明(そうめい)な質帝(しつてい)に跋扈将軍(ばっこしょうぐん)と呼ばれた梁(りょう)冀(き)が毒入りの餅で質帝(しつてい)を殺したと書く。李(り)固伝によれば、公卿(こうけい)の多くは清河王(せいがおう)劉(りゅう)蒜(さん)を推したが、宦官(かんがん)の曹騰が梁(りょう)冀(き)を説き、梁(りょう)冀(き)は李(り)固を退けて蠡吾侯(れいごこう)を立てた。

治世と最期

147年、劉(りゅう)蒜(さん)を天子に立てる謀が露見して劉(りゅう)蒜(さん)は自殺し、李(り)固・杜(と)喬(きょう)も獄死した。150年に梁(りょう)太后(たいこう)が政を返して没した。159年に梁(りょう)皇后(こうごう)が没すると、桓帝(かんてい)は兵に梁(りょう)冀(き)の邸を囲ませ、梁(りょう)冀(き)と妻は自殺して一族は誅(ちゅう)された。宦者(かんじゃ)伝によれば、桓帝(かんてい)は厠(かわや)で唐衡に梁氏(りょうし)と不仲の者を問い、単超ら五人と謀って単超の腕を噛(か)んで血の盟いをした。五人は同じ日に県侯(けんこう)に封じられて五侯(ごこう)と呼ばれ、宦者(かんじゃ)伝は、これより権が宦官(かんがん)に帰したと記す。167年の初め、司隷(しれい)校尉(こうい)の李(り)膺(よう)ら二百余人が党人と誣告(ぶこく)されて獄に下された。同じ年の大赦について、本紀(ほんぎ)は党錮(とうこ)をことごとく除いたと書くが、党錮(とうこ)列伝(れつでん)と資治通鑑(しじつがん)は、党人は郷里に帰されたものの終身の禁錮とされたと書く。西暦では168年の初めに徳陽前殿(とくようぜんでん)で没し、竇(とう)皇后(こうごう)が皇太后として朝に臨んだ。本紀(ほんぎ)の賛(さん)は、後宮は満ちても跡継ぎが無かったと評する。

在位中の出来事(55件)

改元147年元号を「建和」とする
大赦147年
立后147年
被反乱147年清河劉文の乱(清河王劉蒜擁立未遂)
被反乱147年陳留李堅の反乱(自称皇帝)
大赦148年
被反乱148年白馬羌の広漢属国侵寇
改元150年元号を「和平」とする
大赦150年
被反乱150年扶風裴優の乱(自称皇帝)
残り45件を表示
改元151年元号を「元嘉」とする
大赦151年
被反乱151年〜153年武陵蛮の乱(第一次)
改元153年元号を「永興」とする
大赦153年
大赦154年
被反乱154年蜀郡李伯の反乱(太初皇帝僭称)
被反乱154年〜156年泰山・琅邪賊公孫挙の乱
改元155年元号を「永寿」とする
大赦155年
被反乱155年南匈奴の反乱(美稷侵寇)
大赦157年
被反乱157年〜160年九真・日南蛮夷の乱
被反乱157年〜160年長沙蛮の乱(第一次)
改元158年元号を「延熹」とする
大赦158年
立后159年
被反乱159年焼当等八種羌の反乱(隴右侵寇)
大赦160年
被反乱160年焼何羌の反乱(張掖侵寇)
被反乱160年泰山・琅邪賊労丙の乱
被反乱160年勒姐羌の允街包囲
被反乱160年泰山賊叔孫無忌の乱
被反乱160年武陵蛮の乱(第二次)
大赦161年
被反乱161年犍為属国夷の反乱
被反乱161年零吾・先零羌等の反乱(三輔侵寇)
被反乱162年鳥吾羌の反乱(漢陽・隴西・金城侵寇)
被反乱162年〜164年長沙・零陵・桂陽・蒼梧・南海・交阯の大反乱
被反乱162年武陵蛮の乱(第三次)
被反乱162年〜163年滇那羌の反乱(武威・張掖・酒泉侵寇)
大赦163年
被反乱163年武陵蛮の乱(第四次)
被反乱164年〜165年当煎羌の反乱
大赦165年
立后165年
被反乱165年罕姐羌の反乱
被反乱165年桂陽胡蘭・朱蓋の反乱
被反乱165年勃海妖賊蓋登の乱(太上皇帝僭称)
被反乱166年沛国戴異の乱(太上皇僭称)
被反乱166年南匈奴・烏桓の反乱(縁辺九郡侵寇)
改元167年元号を「永康」とする
大赦167年
被反乱167年先零羌の反乱(三輔侵寇)
被反乱167年当煎羌の反乱(武威侵寇、第二次)

後漢の歴代皇帝

14名の一覧

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