西遼(遼・西夏・金)第3代分裂期の王朝
仁宗正徳皇帝耶律夷列
在位 1150年〜1163年(13年3日)
姓耶律諱夷列廟号仁宗
仁宗正徳皇帝の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 遼史 巻三十(天祚皇帝紀四附耶律大石伝)
- 即位経路
- 遼史 巻三十(天祚皇帝紀四附耶律大石伝)
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
西遼を建てた耶律大石の子である。遼史の付録に残る記事は数行しかなく、ほかの正史には名前も見えない。
即位まで
大石が没したとき仁宗は幼く、遺命により大石の皇后塔不煙(感天皇后)が国政を預かって咸清と改元した。皇后が7年政治を執ったあと、仁宗が即位して紹興と改元した。位を受けた事情は記されていない。
治世と最期
遼史が伝える治世の事績は、18歳以上の民を戸籍に載せて8万4500戸を得たことだけである。没したとき子が幼かったので、遺詔により妹の普速完が国政を預かり、崇福と改元した。のちに仁宗の次子の直魯古が即位している。死因・没年齢・陵墓は記されていない。遼史は即位と死去の年を西暦や干支で示さず、在位の年数だけを書くので、このページの年は大石の即位年から数えたものである。
在位中の出来事(1件)
改元1150年元号を「紹興」とする
西遼の歴代皇帝
3名の一覧- 第1代徳宗天祐皇帝1132–1143年不詳
- 第3代仁宗正徳皇帝1150–1163年不詳
- 第5代天禧皇帝1177–1211年病死