前趙・漢趙(五胡十六国)第2代分裂期の王朝
劉和
在位 310年8月29日〜310年9月4日(6日)
姓劉諱和字玄泰
劉和の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 晉書 載記第一 劉元海(劉和)
- 即位経路
- 晉書 載記第一 劉元海(劉和)
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
父の劉淵の後を継いだが、弟たちを殺そうとして逆に弟の劉聡に討たれ、即位してまもなく殺された漢(前趙)の皇帝である。
即位まで
字は玄泰で、身の丈八尺の美丈夫であり、毛詩や左氏春秋を修めた。太子となってからは猜疑心が強く、下の者を恩で扱わなかったと晋書の載記は評する。劉淵が皇后を立てたときに皇太子となり、資治通鑑はこれを310年のこととする。同じ年、劉淵は病床で劉聡らに後事を託して没し、劉和が即位した。
治世と最期
後事を託されなかったことを恨む劉鋭と呼延攸は、弟たちが都で強兵を握っている以上、陛下は仮住まいの身にすぎないと説いた。劉和は呼延攸の甥だったので、この言葉を深く聞き入れた。領軍の劉盛は、先帝の殯も終わらないのに骨肉で殺し合うべきでないと諫めたが、斬られた。劉和の側は劉聡ら四人をそれぞれ討たせたが、北海王を攻める役の者が劉聡のもとへ奔ったため、劉聡は備えを固めた。劉鋭らは劉裕と劉隆を斬ったが、劉聡が西明門を攻め落とし、劉和は光極西室で斬られた。資治通鑑は殺された日を乙酉とする。劉聡は群臣に推されて同じ年に帝位に就いた。一連の出来事を晋書の懐帝紀は資治通鑑より1か月早い条に置く。十六国春秋はさらに別の月とするが、資治通鑑考異は暦を調べてこれを誤りとしている。
在位中の出来事(1件)
被反乱310年8月〜310年9月劉聡による反撃・弑逆(劉和の廃位・殺害)