魏(三国)第5代分裂期の王朝
元帝曹奐
在位 260年6月27日〜266年2月4日(5年223日)
姓曹諱奐字景明
元帝の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 三國志 魏書四 三少帝紀 裴松之注引魏世譜
- 即位経路
- 三國志 魏書四 三少帝紀
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
司馬氏が実権を握るなかで擁立され、晋の司馬炎に位を譲った魏の最後の皇帝である。
即位まで
曹操の孫で燕王曹宇の子である。常道郷公に封じられていたが、曹髦が死んだあと、司馬炎が迎えに出向いて明帝の後継ぎとし、260年に洛陽に入ったその日に即位した。
治世と最期
即位するとすぐ司馬昭を相国・晋公に進めて九錫を与えようとし、司馬昭は辞退を繰り返した。263年に鄧艾・鍾会の遠征で蜀の劉禅が降り、翌年には鍾会が蜀で背いて討たれた。265年に司馬昭が没して司馬炎が後を継ぐと、翌266年の初めに南郊に壇を設けて司馬炎に位を譲った。禅位ののち金墉城へ移るとき、司馬孚はその手を取って泣いた。晋は元帝を陳留王に封じて最後は鄴に住まわせ、天子の旗を使い魏の暦を行うことを許し、上書で臣と称さなくてよいとした。三国志の本文は退位後の死を記さない。裴松之注が引く魏世譜は302年に58歳で没して元皇帝と諡されたと記し、資治通鑑も同じ年に死と諡を載せるが、本紀が禅位の年を20歳とするのに従えば、302年には57歳になる。三国志にも晋書にも資治通鑑にも死因は記されていない。
在位中の出来事(8件)
改元260年6月27日元号を「景元」とする
大赦260年6月27日甘露五年六月甲寅(陳留王即位当日)に大赦。
立后263年景元四年十月癸卯、皇后卞氏を立てる。
改元264年元号を「咸熙」とする
大赦264年景元四年十一月、大赦。
被反乱264年鍾会の乱
大赦265年咸熙二年五月癸未、大赦。
大赦265年咸熙二年九月乙未、大赦。
魏の歴代皇帝
5名の一覧- 第1代文帝220–226年病死
- 第2代明帝226–239年病死
- 第3代曹芳239–254年不詳
- 第4代曹髦254–260年暗殺
- 第5代元帝260–266年不詳