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梁(りょう)・南北朝(なんほくちょう)第3代分裂期の王朝

廃帝(はいてい)蕭棟(しょうとう)

在位 551年10月6日〜552年1月1日(87日)

姓蕭(しょう)諱棟(とう)字元吉(げんきつ)別称豫章王(よしょうおう)

廃帝の人物データ

生年
不詳
在位
  • 551年10月6日〜552年1月1日
在位 87日長さは365名中340位タイ
没年
552年5月2日
死因
暗殺非業の死・365名中94名
即位経路
擁立
先代
次代
  • 侯景漢・侯漢侯景と廃帝に血縁はない

出典(死因・即位経路)

死因
資治通鑑 卷一百六十四 梁紀二十
即位経路
梁書 本紀第四/資治通鑑 卷一百六十四 梁紀二十

死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。

生涯

どんな皇帝か

蕭棟(しょうとう)は梁(りょう)の昭明太子(しょうめいたいし)の孫で、551年、簡文帝(かんぶんてい)を廃した侯景(こうけい)に立てられて位に即いた。まもなく侯景(こうけい)に位を譲らされて幽閉され、侯景(こうけい)が建康(けんこう)から敗走したのち元帝(げんてい)の命で殺された。

即位まで

蕭棟(しょうとう)は字を元吉(げんきつ)といい、父の蕭歓(しょうかん)は武帝(ぶてい)の嫡孫(ちゃくそん)でありながら位を継がず、豫章王(よしょうおう)に封じられた人物である。551年、侯景(こうけい)は兵を宮殿に入れて簡文帝(かんぶんてい)を晋安王(しんあんおう)に廃し、詔を偽って豫章(よしょう)嗣王(しおう)の蕭棟(しょうとう)に位を譲らせた。梁書(りょうしょ)の侯景(こうけい)伝によれば、鼎(かなえ)を移すには必ず廃立が要ると説いた謀臣王偉の言に、侯景(こうけい)が従ったものだった。資治通鑑(しじつがん)によれば、幽閉されて野菜で食いつないでいた蕭棟(しょうとう)は、妃と畑を耕していたところへ法駕(ほうが)が来て、驚いて泣きながら輦(れん)に乗った。南史(なんし)と資治通鑑(しじつがん)は、侯景(こうけい)が一度は簡文帝(かんぶんてい)を復位させて蕭棟(しょうとう)を太孫(たいそん)にしようとしたが、王偉が止めたと記す。

治世と最期

即位して天正(てんせい)と改元(かいげん)し、昭明太子(しょうめいたいし)を昭明皇帝(しょうめいこうてい)と追尊(ついそん)したが、梁書(りょうしょ)の侯景(こうけい)伝はこれらを侯景(こうけい)が蕭棟(しょうとう)の詔を偽って行ったものとして書く。552年の初め、侯景(こうけい)は蕭棟(しょうとう)の詔を偽って自分に位を譲らせ、蕭棟(しょうとう)を淮陰王(わいいんおう)に封じて幽閉した。資治通鑑(しじつがん)は、蕭棟(しょうとう)が二人の弟とともに密室に鎖でつながれたと記す。南史(なんし)によれば、侯景(こうけい)が敗走すると蕭棟(しょうとう)兄弟は杜崱(とそく)に鎖を外してもらったが、蕭棟(しょうとう)は禍福は分からない、まだ恐ろしいと言った。元帝(げんてい)は宣猛将軍(せんもうしょうぐん)の朱買臣(ばいしん)に命じ、蕭棟(しょうとう)と二人の弟は船での酒宴に呼ばれて水に沈められた。梁書(りょうしょ)の元帝(げんてい)紀(き)は、この殺害が元帝(げんてい)の意向であったと明記している。

在位中の出来事(4件)

改元551年10月6日元号を「天正」とする
大赦551年10月6日
被反乱552年1月侯景による蕭棟廃位・淮陰王降封(禅位強要)
立后日付不詳即位後、王妃張氏が皇后に立てられた。

梁・南北朝の歴代皇帝

9名の一覧

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