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武帝の肖像

梁(りょう)・南北朝(なんほくちょう)第1代分裂期の王朝

武帝(ぶてい)蕭衍(しょうえん)

在位 502年4月30日〜549年6月12日(47年55日)

姓蕭(しょう)諱衍(えん)字叔達(しゅくたつ)幼名練児(れんじ)廟号高祖(こうそ)

武帝の人物データ

生年
464年
在位
  • 502年4月30日〜549年6月12日
在位 47年55日39歳で即位(数え年)・長さは365名中8位
没年
549年6月12日86歳(数え年)267名中長寿順2位
死因
病死365名中167名
即位経路
受禅(易姓)
先代
  • 和帝斉・南北朝武帝は和帝の同族(遠縁)
次代
  • 簡文帝梁・南北朝簡文帝は武帝の子
目立つ記録
  • 改元7回(327名中10位タイ)
  • 大赦37回(270名中1位)

出典(死因・即位経路)

死因
梁書 本紀第三 武帝下/資治通鑑 卷一百六十二 梁紀十八
即位経路
梁書 本紀第一

死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。

生涯

どんな皇帝か

南朝の梁(りょう)を建てた皇帝で、仏教に深く帰依し、同泰寺(どうたいじ)でたびたび身を寺に捧(ささ)げた。最後は侯景(こうけい)の軍に宮城(きゅうじょう)を落とされ、その支配の下で没した。

即位まで

南斉(なんせい)の高帝(こうてい)の族弟にあたる蕭順之(しょうじゅんし)の子である。500年の冬、長兄の蕭懿(しょうい)が東昏侯(とうこんこう)に殺されると、襄陽(じょうよう)で兵を挙げた。荊州(けいしゅう)の蕭(しょう)穎冑(えいちゅう)と結んで南康王(なんこうおう)を江陵(こうりょう)で皇帝に立て(和帝(わてい))、建康(けんこう)を囲んだ。東昏侯(とうこんこう)が部下に斬られたあと梁王(りょうおう)となり、502年に和帝(わてい)から位を譲られた。

治世と最期

一日一食で、肉や脂の物を口にせず、豆の汁と粗末な飯で済ませたと梁書(りょうしょ)は記す。527年に同泰寺(どうたいじ)で捨身(しゃしん)し、3日後に宮中へ戻った。529年と547年にも捨身(しゃしん)し、公卿(こうけい)らが銭一億万を払って武帝(ぶてい)を寺から買い戻したと梁書(りょうしょ)は記し、南史(なんし)はこのほか546年にも同泰寺(どうたいじ)で身を施し、皇太子以下が買い戻したとする。547年、東魏(とうぎ)の侯景(こうけい)が13州を携えて降ってくると、武帝(ぶてい)は侯景(こうけい)を河南王(かなんおう)に封じた。侯景(こうけい)は翌年に背き、寝返った臨賀王(りんがおう)蕭正徳(しょうせいとく)とともに建康(けんこう)へ迫って、549年に宮城(きゅうじょう)を落とした。武帝(ぶてい)の最期は史料ごとに書き方が違う。梁書(りょうしょ)の本紀(ほんぎ)は、求めるものを与えられず、憂いと憤りから病に伏して浄居殿(じょうきょでん)で没したと書く。同じ梁書(りょうしょ)の侯景(こうけい)伝は食事まで削られたとし、没した場所を文徳殿(ぶんとくでん)とする。南史(なんし)の侯景(こうけい)伝は病と飢えを挙げる。資治通鑑(しじつがん)と南史(なんし)の本紀(ほんぎ)は、口が苦くて蜜を求めても得られず、荷、荷と二度言って息絶えたという場面を載せるが、梁書(りょうしょ)にはこの場面が無い。後世には餓死したとも伝えられている。

在位中の出来事(50件)

改元502年4月30日元号を「天監」とする
大赦502年4月30日天監元年四月丙寅、即位に伴う大赦。
被反乱502年5月〜502年6月陳伯之の乱
被反乱502年6月〜503年5月劉季連の益州拠守
大赦504年天監三年六月癸未、大赦天下。
大赦505年天監四年正月辛亥、南郊親祀に伴い赦天下。
大赦506年天監五年十一月乙丑、出師が長期化したことに伴い大赦天下。
大赦507年天監六年八月戊子、赦天下。
大赦509年天監八年正月辛巳、南郊親祀に伴い赦天下。
大赦511年天監十年正月辛丑、南郊親祀に伴い大赦天下。
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大赦514年天監十三年二月丁亥、親耕籍田に伴い赦天下。
大赦515年天監十四年正月乙巳朔、皇太子冠礼に伴い赦天下。
大赦516年天監十五年九月壬辰、赦天下。
大赦518年天監十七年二月甲辰、大赦天下。
大赦519年天監十八年四月丁巳、大赦天下。
改元520年元号を「普通」とする
大赦520年普通元年正月乙亥朔、改元に伴い大赦天下。
大赦521年普通二年正月戊子、大赦天下。
大赦522年普通三年五月癸巳、赦天下。
大赦523年普通四年正月辛卯、南郊親祀に伴い大赦天下。
大赦525年普通六年正月辛亥、南郊親祀に伴い大赦天下。
大赦525年普通六年七月壬戌、大赦天下(豫章王綜の魏投降を受けての混乱下)。
大赦526年普通七年十一月庚辰、大赦天下。
改元527年元号を「大通」とする
大赦527年大通元年三月甲戌、同泰寺捨身からの還宮・改元に伴い赦天下。
改元529年元号を「中大通」とする
大赦529年中大通元年正月辛酉、南郊親祀に伴い大赦天下。
大赦529年中大通元年六月壬午、大赦天下。
大赦529年中大通元年十月己酉、同泰寺無遮大会捨身からの還宮・改元に伴い大赦。
大赦531年中大通三年正月辛巳、南郊親祀に伴い大赦天下。
大赦531年中大通三年七月乙亥、晋安王綱(後の簡文帝)を皇太子に立てるのに伴い大赦天下。
被反乱531年蕭正則の広州侵寇未遂
大赦533年中大通五年正月辛卯、南郊親祀に伴い大赦天下。
大赦534年中大通六年二月癸亥、親耕籍田に伴い大赦天下。
改元535年元号を「大同」とする
大赦535年大同元年正月戊申朔、改元に伴い大赦天下。
大赦537年大同三年正月辛丑、南郊親祀に伴い大赦天下。
大赦537年大同三年八月辛卯、阿育王寺行幸に伴い赦天下。
大赦538年大同四年七月癸亥、如来真形舎利が降ったことを機に大赦天下。
大赦540年大同六年八月戊午、赦天下。
大赦541年大同七年正月辛巳、南郊親祀に伴い赦天下。
被反乱541年〜548年李賁の乱(交州)
被反乱542年劉敬躬の乱
改元546年元号を「中大同」とする
大赦546年中大同元年三月乙巳、大赦天下。
大赦546年中大同元年四月丙戌、同泰寺法会に伴い大赦・改元。
改元547年元号を「太清」とする
大赦547年太清元年正月辛酉、南郊親祀の詔で大赦天下。
大赦547年太清元年四月丁亥、同泰寺捨身からの還宮・改元に伴い大赦天下。
被反乱548年10月〜549年6月侯景の乱

梁・南北朝の歴代皇帝

9名の一覧

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