唐第3代統一王朝
高宗李治
在位 649年7月15日〜683年12月27日(34年173日)
姓李諱治字為善幼名雉奴
高宗の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 旧唐書 巻五(高宗下、弘道元年十二月条)
- 即位経路
- 旧唐書 巻四(高宗上)
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
武氏を皇后に立て、のちに皇后と並んで二聖と呼ばれた唐の皇帝である。旧唐書の史臣は、即位後に後宮に心を奪われて国の基を怠り、皇后が害され元舅が冤罪を負ったと評している。
即位まで
太宗の第9子で、母は文徳皇后長孫氏である。643年に皇太子の承乾が廃され、魏王泰も退けられると、太宗は長孫無忌らと議して晋王を皇太子に立てた。資治通鑑は、太宗が一度は魏王泰を立てると約束し、長孫無忌が晋王を強く推したという経緯を書くが、旧唐書と新唐書の本紀には無い。649年に太宗が没して即位した。
治世と最期
655年、反対した褚遂良を左遷し、王皇后を廃して武昭儀を皇后に立てた。資治通鑑は、昭儀が自分の生んだ娘を手にかけて王皇后の仕業に見せたと書くが、旧唐書の本紀にこの話は無い。旧唐書の后妃伝は、廃された王皇后の死について、同じ伝の中で絞め殺されたとも、手足を断たれて酒甕に投げ込まれたとも書いている。上官儀を誅してからは皇后が御座の後ろに簾を垂れて政治に加わり、旧唐書の本紀は、高宗が風疹で朝政を聴けず政事はすべて皇后が決したとも書く。675年に皇太子の弘が没すると、旧唐書の本紀は薨じたとだけ書き、新唐書の本紀は天后が殺したと書く。資治通鑑の考異は、毒殺とする書と言わない書があって事情が明らかでないので、本文では時の人が天后の毒殺を疑ったとだけ書いたと説明している。680年には皇太子の賢を廃して庶人とし、英王哲を皇太子に立てた。683年、改元の赦を宣したその夜に貞観殿で没し、遺詔は決まらない軍国の大事は天后の処分に従えとした。
在位中の出来事(40件)
大赦649年7月15日
改元650年元号を「永徽」とする
立后650年妃王氏を皇后に立てる。
被反乱650年〜658年阿史那賀魯(西突厥)の反乱
大赦652年陳王忠を皇太子に立てるのに伴い大赦天下。
被反乱653年陳碩貞の乱
大赦655年王皇后を廃して庶人とし武昭儀を皇后に立てるのに伴い大赦天下。
立后655年王皇后を廃して庶人とし、武昭儀を皇后に立てる。
改元656年元号を「顕慶」とする
大赦656年顕慶に改元、大赦。
残り30件を表示
皇太子廃立656年皇太子忠を廃して梁王とし、代王弘を皇太子に立てる。
大赦659年皇太子(弘)加元服につき大赦天下。
改元661年元号を「龍朔」とする
大赦662年東宮誕育満月(皇太子弘に子誕生)につき大赦天下。
改元664年元号を「麟徳」とする
改元666年元号を「乾封」とする
大赦666年泰山封禅後、乾封に改元し大赦天下、酺七日。
改元668年元号を「総章」とする
大赦668年総章に改元し大赦。
改元670年元号を「咸亨」とする
大赦670年咸亨に改元し大赦天下。
改元674年元号を「上元」とする
大赦674年
大赦675年皇太子弘死去後、雍王賢を皇太子に立てるのに伴い大赦。
改元676年元号を「儀鳳」とする
大赦676年儀鳳に改元し大赦。
大赦678年
改元679年元号を「調露」とする
大赦679年調露に改元し大赦天下。
被反乱679年〜681年単于大都護府突厥反乱(阿史德温傅・阿史那泥熟匐・阿史那伏念)
改元680年元号を「永隆」とする
大赦680年皇太子賢を廃して庶人とし英王哲を皇太子に立て、永隆に改元。
皇太子廃立680年皇太子賢を廃して庶人とし別所に幽閉、翌日英王哲を皇太子に立てる。
改元681年元号を「開耀」とする
改元682年元号を「永淳」とする
大赦682年太子(哲)に皇孫誕生・満月につき大赦、永淳に改元。
被反乱682年阿史那骨咄禄の反乱
被反乱683年綏州稽胡白鉄余の乱
改元683年12月27日元号を「弘道」とする
大赦683年12月27日弘道に改元し崩御当日に赦書を宣す。
唐の歴代皇帝
24名の一覧- 第1代高祖618–626年病死
- 第2代太宗626–649年諸説あり
- 第3代高宗649–683年病死
- 第4・6代中宗684年 / 705–710年暗殺
- 第5・8代睿宗684–690年 / 710–712年病死
- 第7代殤帝710年不詳
- 第9代玄宗712–756年病死
- 第10代粛宗756–762年病死
- 第11代代宗762–779年病死
- 第12代徳宗779–805年病死
- 第13代順宗805年病死
- 第14代憲宗805–820年暗殺
- 第15代穆宗820–824年病死
- 第16代敬宗824–827年暗殺
- 第17代文宗827–840年病死
- 第18代武宗840–846年病死
- 第19代宣宗846–859年病死
- 第20代懿宗859–873年病死
- 第21代僖宗873–888年病死
- 第22・23代昭宗888–900年 / 901–904年暗殺
- 第24代哀帝904–907年暗殺
- 李裕900–901年暗殺
- 李承宏763年不詳
- 襄王李熅886–887年処刑