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仁宗の肖像

北宋(ほくそう)第4代統一王朝

仁宗(じんそう)趙(ちょう)禎(てい)

在位 1022年3月23日〜1063年4月30日(41年48日)

姓趙(ちょう)諱禎(てい)

仁宗の人物データ

生年
1010年5月30日
在位
  • 1022年3月23日〜1063年4月30日
在位 41年48日13歳で即位(数え年)・長さは365名中12位
没年
1063年4月30日54歳(数え年)267名中長寿順62位タイ
死因
病死365名中167名
即位経路
世襲
先代
  • 真宗北宋仁宗は真宗の子
次代
  • 英宗北宋英宗は仁宗の養子
目立つ記録
  • 改元9回(327名中5位)
  • 大赦22回(270名中4位)

出典(死因・即位経路)

死因
宋史 本紀十二(仁宗四)
即位経路
宋史 本紀九(仁宗一)

死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。

生涯

どんな皇帝か

幼くして即位し、劉太后(りゅうたいこう)の垂簾(すいれん)のもとで育った北宋(ほくそう)の皇帝で、西夏(せいか)の元昊(げんこう)と戦って和を結び、范(はん)仲淹(ちゅうえん)らの改革を一時採り入れた。

即位まで

真宗(しんそう)の第六子で、生母は李(り)宸妃(しんぴ)だが、子の無い章献皇后(けんこうごう)劉氏(りゅうし)が自分の子として育てた。1022年に真宗(しんそう)が没すると遺詔(いしょう)で即位し、章献皇后(けんこうごう)が皇太后として軍国の事を処分した。皇太后は承明殿(しょうめいでん)に幄(あく)を設け、簾(すだれ)を垂れて輔臣(ほしん)に会った。

治世と最期

1033年に章献皇太后(しょうけんこうたいごう)が没し、李(り)宸妃(しんぴ)を皇太后に追尊(ついそん)したとき、仁宗(じんそう)は初めて自分が宸妃(しんぴ)の子だと知り、自ら政を執り始めた。1034年の初めに皇后の郭氏(かくし)を廃し、門前で諫(いさ)めた孔道輔(どうほ)と范(はん)仲淹(ちゅうえん)を朝廷から出した。1039年の初めに元昊(げんこう)が背き、帝を称することを求めた。宋(そう)軍は1040年に延州(えんしゅう)で、1041年に好水川(こうすいせん)で、1042年に定川砦(ていせんさい)で相次いで敗れた。1042年には契丹(きったん)が土地の割譲を求め、富弼(ひつ)を使者として交渉し、誓書が交わされた。本紀(ほんぎ)は増した歳幣(さいへい)の額を書かず、賛(さん)が一言触れるだけである。1044年、元昊(げんこう)に誓詔(せいしょう)を賜って歳賜(さいし)を定め、夏国主(かこくしゅ)に封じた。范(はん)仲淹(ちゅうえん)伝によれば、仁宗(じんそう)が二府(にふ)に条対(じょうたい)させると范(はん)仲淹(ちゅうえん)は十事を上り、仁宗(じんそう)は府兵(ふへい)の法を除いてこれを採り、詔で頒下(はんか)した。改革が急で恩典が薄くなり、僥倖(ぎょうこう)を望む者が不便を言い立てて、誹謗(ひぼう)と朋党(ほうとう)の論が仁宗(じんそう)の耳に入った。1045年に范(はん)仲淹(ちゅうえん)・富弼(ひつ)・杜(と)衍(えん)が相次いで罷免され、本紀(ほんぎ)はその理由も新政の語も記さない。皇子は1037年・1041年・1043年に相次いで亡くなった。1062年、濮安懿王(ぼくあんいおう)の子の宗実(そうじつ)を皇子とし、曙(しょ)の名を賜った。1063年に病み、福寧殿(ふくねいでん)で没して、皇子が遺制で即位した。本紀(ほんぎ)は病名も症状も記さない。

在位中の出来事(54件)

大赦1022年3月24日即位に伴う大赦。
改元1023年元号を「天聖」とする
大赦1024年南郊(圜丘祀天地)に伴う大赦。
立后1024年
被反乱1025年環・原州屬羌の乱
大赦1027年南郊(圜丘祀天地)に伴う大赦。
大赦1029年
大赦1030年南郊(圜丘祀天地)に伴う大赦。
改元1032年元号を「明道」とする
大赦1032年大内火災後の大赦。
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大赦1032年修内完成・恭謝天地・謁太廟に伴う大赦(改元と同時)。
大赦1033年先農を祀り籍田を耕すに伴う大赦。
大赦1033年
改元1034年元号を「景祐」とする
大赦1034年星変(帝不予・星孛出現)による大赦。
立后1034年
大赦1035年南郊(圜丘祀天地)に伴う大赦。
被反乱1035年猺・獠の雷州・化州侵寇
被反乱1035年鎮寧州蠻の乱
改元1038年元号を「宝元」とする
大赦1038年南郊(圜丘祀天地)に伴う大赦(改元と同時)。
被反乱1038年〜1039年安化州蠻の乱(宜州・融州侵寇)
改元1040年元号を「康定」とする
改元1041年元号を「慶暦」とする
大赦1041年南郊(圜丘祀天地)に伴う大赦(改元と同時)。
被反乱1043年〜1044年桂陽洞蠻・徭賊の乱
被反乱1043年王倫の乱(虎翼卒・沂州)
被反乱1043年光化軍兵変
大赦1044年冬至・南郊(圜丘祀天地)に伴う大赦。
被反乱1044年〜1045年區希範の乱(宜州蠻)
被反乱1044年保州雲翼軍の乱
被反乱1044年淯井監夷人の三江砦侵寇
大赦1045年章献明粛皇后・章懿皇后神主を太廟に祔するに伴う大赦。
被反乱1046年〜1047年湖南徭賊(唐和ら)の乱
大赦1047年冬至・南郊(圜丘祀天地)に伴う大赦。
被反乱1047年〜1048年王則の乱(貝州)
被反乱1048年親從官顏秀の禁中謀変
改元1049年元号を「皇祐」とする
被反乱1049年〜1053年儂智高の乱
大赦1050年明堂大享(大飨天地于明堂)に伴う大赦。
大赦1053年南郊(圜丘祀天地)に伴う大赦。
改元1054年元号を「至和」とする
被反乱1055年蘇茂州蠻の邕州侵寇(1回目)
改元1056年元号を「嘉祐」とする
大赦1056年
大赦1056年恭謝天地於大慶殿に伴う大赦(改元と同時)。
被反乱1056年環州小遇族の乱
被反乱1056年〜1058年彭仕羲の乱(下溪州蠻)
被反乱1057年澧州羅城洞蠻の侵寇
被反乱1057年儂宗旦の乱(邕州火峒蠻)
被反乱1057年梓夔路三里村夷人の淯井監侵寇
大赦1059年太廟に大祫するに伴う大赦。
被反乱1061年蘇茂州蠻の邕州侵寇(2回目)
大赦1062年明堂大享(大飨明堂)に伴う大赦。

北宋の歴代皇帝

9名の一覧

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