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高宗の肖像

南宋(なんそう)第1・2代分裂期の王朝

高(こう)宗(そう)趙(ちょう)構(こう)

在位 1127–1129年 / 1129–1162年(35年26日)

姓趙(ちょう)諱構(こう)字徳基(とくき)

高宗の人物データ

生年
1107年6月12日
在位
  • 1度目1127年6月12日〜1129年3月26日
  • 復位1129年4月20日〜1162年7月24日
在位 35年26日21歳で即位(数え年)・長さは365名中16位
没年
1187年11月9日81歳(数え年)267名中長寿順5位
死因
病死365名中167名
即位経路
推戴帝号を新たに称した・のちに復位
先代
  • 趙旉復位による継承・高宗は趙旉の父
次代
  • 孝宗南宋孝宗は高宗の養子
目立つ記録
  • 大赦20回(270名中6位)
  • 被反乱114回(289名中1位)
  • 遷都1回(42名中9位タイ)

出典(死因・即位経路)

死因
宋史 本紀 巻三十二(高宗九)
即位経路
宋史 本紀 巻二十四(高宗一)

死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。

生涯

どんな皇帝か

靖康(せいこう)の変ののち応天府(おうてんふ)で即位して宋(そう)を立て直し、淮水(わいすい)を境として金と和議を結んだ南宋(なんそう)の皇帝である。本紀(ほんぎ)の賛(さん)は、中興の君の列に置きつつ、位を継いで守るには余りあるが乱を収める才ではなかったと評する。

即位まで

徽宗(きそう)の第九子で、母は顕仁皇后(けんじんこうごう)韋氏(いし)であり、1107年に開封の宮中で生まれ、1122年に康王(こうおう)に封じられた。欽宗(きんそう)は蠟(ろう)で封じた詔を相州(そうしゅう)に届けさせ、康王(こうおう)を河北兵馬大元帥(かほくへいばだいげんすい)に任じた。1127年、金は張邦昌(ちょうほうしょう)を皇帝に立てて大楚(だいそ)と称させ、徽宗(きそう)と欽宗(きんそう)を北へ連れ去った。張邦昌(ちょうほうしょう)が哲宗(てつそう)の廃后(はいこう)の孟氏(もうし)を迎えると、孟氏(もうし)は手書で康王(こうおう)に帝統(ていとう)を嗣がせると中外(ちゅうがい)に告げた。同じ年、康王(こうおう)は応天府(おうてんふ)で壇に登り、北の二帝に遥かに謝して即位し、建炎(けんえん)と改元(かいげん)した。金史(きんし)の太宗(たいそう)紀(き)は、この日を宋(そう)の康王(こうおう)が帰徳(きとく)で即位したとだけ書く。

治世と最期

1129年、苗傅(ふ)と劉(りゅう)正彦(せいげん)が叛(そむ)いて王淵(えん)らを殺し、高(こう)宗(そう)に皇子への譲位を迫ったが、まもなく隆祐太后(りゅうゆうたいこう)が政を返す詔を下して高(こう)宗(そう)は復位した。1130年の初めには、金の兀朮(うじゅ)が臨安(りんあん)を侵すなか、明州(めいしゅう)から船で海上へ逃れ、温州・台州(たいしゅう)へ移った。1138年に建康(けんこう)から臨安(りんあん)へ移った。1141年、淮水(わいすい)の中流を境とし、唐・鄧(とう)の二州を割き、毎年銀と絹を二十五万ずつ納める約で金と和議を結んだ。本紀(ほんぎ)は金による冊封(さくほう)も宋(そう)の称臣(しょうしん)も書かないが、金史(きんし)の熙宗(きそう)紀(き)は、翌年に宋(そう)の康王(こうおう)を帝に冊(さく)し、宋(そう)を臣としたことを中外(ちゅうがい)に告げたと記す。1142年の初め、本紀(ほんぎ)は岳飛に大理寺(だいりじ)で死を賜ったとだけ書き、秦(しん)檜(かい)の名を挙げない。岳飛伝は秦(しん)檜(かい)が手書きの紙で獄に死を報じさせたと記し、伝末の論は、中原(ちゅうげん)を棄てることを忍んだ高(こう)宗(そう)は岳飛を殺すことも忍んだと評する。元懿太子(げんいたいし)の死後に跡継ぎがなく、高(こう)宗(そう)は太祖(たいそ)の子孫から後継を選んだ。1162年に建王(けんおう)を皇太子として位を譲り、太上(たいじょう)皇帝として徳寿宮(とくじゅきゅう)に退いた。1187年に徳寿殿(とくじゅでん)で没した。

在位中の出来事(142件)

被反乱1127年江寧の叛卒
被反乱1127年〜1129年襄陽侵犯の賊
被反乱1127年陳州軍賊
被反乱1127年京東賊
被反乱1127年成都謀反
被反乱1127年〜1130年関中賊、興州で僭号称帝
改元1127年6月12日元号を「建炎」とする
大赦1127年6月12日建炎元年五月一日(庚寅朔)、即位・改元建炎と同時に大赦。
立后1127年6月15日
大赦1127年7月23日建炎元年六月辛未、皇子旉(後の元懿太子)誕生に伴い大赦。
残り132件を表示
大赦1128年建炎二年十一月壬寅、冬至の圜丘における昊天上帝祭祀(太祖配享)に伴い大赦。
被反乱1128年河北賊(第一次)
被反乱1128年〜1133年東平府兵馬鈐轄、渡淮して黄州侵犯
被反乱1129年杭州兵変
被反乱1129年博州卒の萊州侵犯
被反乱1129年建州軍校の反乱
被反乱1129年常州侵犯の軍賊
被反乱1129年〜1130年壽春府包囲の軍賊
被反乱1129年〜1130年真定軍賊
被反乱1129年〜1131年光山県侵犯の賊
被反乱1129年〜1131年淮寧府侵犯
被反乱1129年〜1130年江淮宣撫司准備将の反乱
被反乱1129年禁卒の謀乱(航海避兵時)
被反乱1129年御営統制、江寧占拠謀議
被反乱1129年〜1132年淮寧府攻撃、後に金への投降を試みる
被反乱1129年〜1133年河北・京東捉殺使、大規模な流賊軍指揮官
被反乱1129年〜1132年襄陽を武力で占拠し半独立化、復州・金州侵犯
被反乱1129年青州敗将、帥臣曾孝序殺害
被反乱1129年3月〜1129年4月苗劉兵変(明受の変)
大赦1129年4月27日建炎三年四月乙卯(復位後)、大赦。
被反乱1130年秀州卒の反乱
被反乱1130年建州卒の反乱、福州侵犯
被反乱1130年〜1131年京西賊、岳州陥落
被反乱1130年〜1132年泗州の水賊
被反乱1130年濠州侵犯
被反乱1130年妖賊、信州貴溪県
被反乱1130年〜1135年鍾相・楊幺の乱(洞庭湖、鼎州)
被反乱1130年京西侵犯の賊
被反乱1130年虔州包囲の郷兵首領
被反乱1130年虔州侵犯の叛将
被反乱1130年叛将
被反乱1130年初期の反乱・降伏
被反乱1130年〜1132年御営前軍将の反乱
被反乱1130年弓手、蔡州褒信県、光州占拠
被反乱1130年濱州賊、棣州陥落
被反乱1130年〜1132年范汝為の乱(建州占拠)
改元1131年元号を「紹興」とする
大赦1131年紹興元年九月辛亥、明堂における合祭天地(太祖・太宗配享)に伴い大赦。
被反乱1131年荊南占拠
被反乱1131年〜1132年漢陽軍から江西・広西を転戦した賊軍
被反乱1131年〜1132年淮陽軍陥落
被反乱1131年汝州の賊
被反乱1131年建陽賊
被反乱1131年〜1132年荊襄賊、後に常州方面で叛乱
被反乱1131年原州にて金へ投降
大赦1132年紹興二年九月辛酉、彗星出現を理由に大赦。
被反乱1132年江西再侵犯
被反乱1132年太平州包囲
被反乱1132年潭州禁卒の謀乱
被反乱1132年王善余党の反乱
被反乱1132年金・房州賊、帰州侵犯
被反乱1132年反乱者
被反乱1132年反乱者(後に招降・武将に)
被反乱1132年反乱者(後に招降・武将に)
被反乱1132年陝西叛将、岷州包囲
被反乱1132年石陂の残賊
被反乱1132年〜1136年商州、偽斉への一時的離反
被反乱1132年江西軍賊、瑞昌県侵犯
被反乱1132年海州賊、漣水軍侵犯
被反乱1132年環慶路統制、西夏へ投降
被反乱1132年涇原統制、金へ投降
被反乱1132年経略司幹辦、金へ投降
被反乱1132年涇原兵馬都監、離反
被反乱1132年〜1133年湖賊、鼎州・澧州・潭州侵犯
被反乱1132年太平州軍士、拠城謀反
被反乱1132年淮賊、蘄州侵犯、岳州平江県占拠
被反乱1132年鄜延将、慶陽府侵犯
被反乱1132年広賊、南雄州包囲
被反乱1132年水賊、漢陽軍襲撃、守臣殺害
被反乱1133年萍郷賊
被反乱1133年順昌県賊
被反乱1133年石陂余賊
被反乱1133年反乱者
被反乱1133年司空山賊
被反乱1133年江西将、戍兵誘反
被反乱1133年〜1135年虔賊、循梅汀州侵犯
被反乱1133年虔賊、恵州侵犯
被反乱1133年浙東賊、龍泉県侵犯
被反乱1133年李通余党、舒州包囲
被反乱1133年范汝為余党、龍泉県掠奪
大赦1134年紹興四年九月辛酉、明堂における合祭天地に伴い大赦。
親征1134年偽齊・金(劉豫・完顏兀朮の淮西侵攻)
被反乱1134年広賊、韶州楽昌県包囲
被反乱1134年厳州賊
被反乱1134年南豊県賊の首魁
被反乱1134年偽齊へ投降した将領
被反乱1134年海賊、潮州侵犯
被反乱1135年〜1136年海賊、広州・泉州侵犯
被反乱1135年湖北軍賊、長陽県侵犯
被反乱1135年〜1136年澧州賊
被反乱1135年海賊、雷州侵犯
親征1136年偽齊(劉豫の淮西侵攻、藕塘の戦い)
被反乱1136年建昌軍軍卒の反乱
被反乱1136年徭賊、鎮汝軍付近
被反乱1136年恵州軍賊の反乱
被反乱1136年澧州賊徒
被反乱1136年熙河統制、洮・岷二州を率いて偽齊へ投降
被反乱1136年壽春府知府、偽齊へ投降
大赦1137年紹興七年九月辛巳、明堂における合祭天地に伴い大赦。
被反乱1137年淮西兵変、監軍呂祉らを殺害し約4万の兵を率い偽齊へ投降
遷都1138年東京開封府(汴京、北宋旧都) → 臨安府(杭州)
大赦1139年紹興九年正月丙戌、金国との和議成立を理由に大赦。
被反乱1139年桃源占拠の再反乱
大赦1140年紹興十年九月庚戌、明堂における合祀天地に伴い大赦。
被反乱1140年叛将、忠臣王忠植を捕らえ金に投降
被反乱1141年宋叛将、金軍とともに侵攻に参加
大赦1142年紹興十二年九月壬寅、大赦(金との和議・欑宮総護使任命等と同時期)。
被反乱1142年宜章洞民の反乱
被反乱1142年駱科余党の再反乱
大赦1143年紹興十三年十一月庚申、日南至(冬至)の圜丘における合祀天地(太祖・太宗配享)に伴い大赦。
立后1143年
被反乱1144年宣州涇県の妖賊
被反乱1144年海賊
大赦1145年紹興十五年四月丁亥、彗星出現を理由に大赦。
被反乱1145年〜1154年武岡軍徭人の反乱
大赦1146年紹興十六年十一月丙子、圜丘における合祀天地に伴い大赦。
大赦1149年紹興十九年十一月壬辰、圜丘における合祀天地に伴い大赦。
被反乱1150年信州妖賊、貴溪県陥落
被反乱1150年建州民の反乱
大赦1152年紹興二十二年十一月戊申、圜丘における合祀天地に伴い大赦。
被反乱1152年虔州軍卒の反乱、二将殺害し虔州占拠
被反乱1154年衢州民の反乱
大赦1155年紹興二十五年十一月癸亥、圜丘における合祀天地に伴い大赦。
被反乱1155年汀賊、漳州長泰県侵犯
大赦1158年紹興二十八年十一月己卯、圜丘における合祀天地に伴い大赦。
被反乱1158年厳州遂安の賊、衢州侵犯
大赦1159年
被反乱1160年海賊、高州・雷州侵犯
被反乱1160年海南黎族の反乱
大赦1161年紹興三十一年九月辛未、明堂にて徽宗を上帝に配して宗祀した際に大赦。
被反乱1161年雷州軍賊の反乱
親征1161年12月〜1162年6月金(完顏亮の南侵)

南宋の歴代皇帝

9名の一覧

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