
東晋第1代分裂期の王朝
元帝司馬睿
在位 318年4月26日〜323年1月3日(4年253日)
姓司馬諱睿字景文廟号中宗
元帝の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 晉書 帝紀第六 中宗元帝
- 即位経路
- 晉書 帝紀第六 中宗元帝
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
西晋が滅びかけるなか江南の建康で晋を立て直し、東晋の最初の皇帝となった人物である。
即位まで
司馬懿の曾孫で、琅邪王の位を15歳で継いだ。恵帝の時代の王族の争いでは控えめにふるまって難を逃れ、叔父の東安王繇が殺されると成都王穎のもとを逃れて洛陽に戻り、母を伴って琅邪国へ帰った。永嘉年間の初めに王導の策で建鄴に移り、王敦と王導を腹心として江東の人心を集めた。317年に晋王となり、翌年、愍帝が平陽で殺されたという知らせを受けて皇帝に即いた。
治世と最期
晋書の本紀は、元帝が倹約を好み直言を受け入れたとし、王導に諫められて酒を断った話を載せる。322年、大将軍の王敦が劉隗を討つと称して武昌で兵を挙げた。建康の石頭城が開かれて官軍は敗れ、元帝は兵を収めなければ琅邪へ帰って位を譲るとまで王敦に伝えた。王敦は自ら丞相となって戴若思と周顗を殺し、元帝は翌323年の初めに内殿で没した。崩御の条には病のことが書かれておらず、本紀は末尾のまとめで、臣下に凌がれて憂憤のうちに世を去ったと記す。憂憤から病になって没したと書くのは資治通鑑である。晋書の史臣は、元帝が強い臣下を抑えられなかったと評している。
在位中の出来事(13件)
被反乱317年〜319年杜曾・第五猗の反乱
改元318年4月26日元号を「太興」とする
大赦318年4月26日
被反乱319年彭城内史周抚の反乱
被反乱319年龍驤将軍陳川の離反(石勒に降る)
被反乱319年〜322年太山太守徐龕の反乱
被反乱319年秦州刺史陳安の離反(劉曜に降る)
大赦320年
改元322年元号を「永昌」とする
大赦322年
残り3件を表示
大赦322年
被反乱322年新昌太守梁碩の反乱
被反乱322年2月〜323年1月3日王敦の乱(永昌元年)
東晋の歴代皇帝
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