前漢第9代統一王朝
廃帝劉賀
在位 前74年7月18日〜前74年8月14日(27日)
姓劉諱賀別称昌邑王別名海昏侯
廃帝の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 漢書・武五子傳
- 即位経路
- 漢書・霍光金日磾傳
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
昭帝の跡継ぎとして霍光に迎えられ、ひと月足らずで廃された前漢の皇帝である。
即位まで
昌邑哀王劉髆の子で、父の死後に昌邑王を継いだ。前74年に昭帝が跡継ぎの無いまま没すると、群臣は武帝の子で唯一残っていた広陵王を推したが、霍光は不安に思い、皇太后の詔で劉賀を迎えさせた。劉賀は召しを受けたその日の昼に発ち、夕方までに百三十五里を駆けて、従者の馬が道に倒れ続けた。道中では長鳴鶏を求め、衣車に女子を載せさせた。同じ年に皇帝の璽綬を受けた。
治世と最期
即位してから淫乱を行ったとして、霍光は群臣と議して皇太后に廃位を申し上げた。連名の上奏が昭帝の宮人との淫乱を挙げたところで皇太后が止めよと遮り、読み直された続きは、璽を受けてから27日のあいだに諸官署へ千百二十七件の徴発を命じたと数え上げた。廃位が決まると霍光は劉賀の手を取って璽の組紐を解き、劉賀は愚かで漢の事に堪えないと言って拝した。劉賀は昌邑へ帰されて二千戸を与えられ、昌邑から従ってきた群臣二百余人は霍光に誅殺された。宣帝が即位すると、侍御史の厳延年が、霍光はほしいままに君主を廃立したと劾奏したが、取り上げられなかった。宣帝は劉賀を警戒して山陽太守の張敞に見張らせたが、恐れるに足りないとの報告を受け、前63年に海昏侯に封じた。のちに、なぜ大将軍を斬らなかったのかと問われて、そうだ、しくじったと答えたことが告発され、三千戸を削られた。漢書は、その後に没したとだけ記す。
在位中の出来事(1件)
被反乱前74年8月14日霍光による昌邑王(劉賀)廃位のクーデター