前漢第13代統一王朝
哀帝劉欣
在位 前7年5月7日〜前1年8月15日(6年102日)
姓劉諱欣
哀帝の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 漢書・哀帝紀
- 即位経路
- 漢書・哀帝紀
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
夏賀良の説に従って改元し、陳聖劉太平皇帝と名乗ったが、2か月で取り消した前漢の皇帝である。
即位まで
元帝の孫で定陶恭王の子として、幼くして定陶王を継いだ。成帝の前で法令や詩経をよどみなく答えて才を認められ、祖母の傅太后が成帝の寵姫趙昭儀と外戚の王根に贈り物をして後継ぎに推させたこともあって、皇太子に立てられた。前7年に成帝が没して即位した。
治世と最期
即位の年、諸侯王以下の田地と奴婢の数に上限を設ける案が奏上された。即位したころから痿痹という足の病を患い、晩年には重くなった。漢書の李尋伝は、長く病んでいたので効き目を期待して夏賀良の議に従ったと記す。寵愛した董賢を大司馬とし、酒宴では堯が舜に位を譲ったのに倣いたいと董賢に向かって言い、王閎に諫められた。前1年に未央宮で没した。没後、王莽は董賢が帝の病中に薬の世話をしなかったとして弾劾させた。漢書にも資治通鑑にも、病のほかの死因は書かれていない。
在位中の出来事(9件)
大赦前7年5月綏和二年四月丙午、哀帝即位。
立后前7年6月
改元前6年元号を「建平」とする
大赦前6年
改元前5年元号を「太初元將」とする
改元前5年
大赦前5年
改元前2年元号を「元寿」とする
大赦前2年2月