前漢第14代統一王朝
平帝劉衎
在位 前1年10月17日〜6年2月(5年108日)
姓劉諱衎廟号元宗
平帝の人物データ
出典(死因・即位経路)
- 死因
- 漢書・平帝紀/王莽傳上
- 即位経路
- 漢書・平帝紀/王莽傳上
死因と即位経路を判定するときに読んだ正史の書名と巻です。
生涯
どんな皇帝か
幼くして迎えられて位に就き、政治はすべて王莽が執った前漢の皇帝である。王莽が毒を盛ったという告発は漢書にも見えるが、地の文で毒殺と書くのは資治通鑑である。
即位まで
元帝の孫で中山孝王の子として、幼くして中山王を継いだ。前1年に哀帝が没すると、大司馬となった王莽が使者を送って中山王を迎え、成帝の後継ぎとして即位させた。
治世と最期
王莽は平帝の母の衛姫と外戚の衛氏を中山に留めて都に来させず、自らは安漢公の号を受けた。3年には王莽の子の宇が衛氏と謀ったため、宇は獄で死に、衛氏は誅された。翌年、王莽の娘が皇后に立てられた。6年の初めに未央宮で没した。漢書の平帝紀は、発作のたびに気が逆上して言葉が出なくなったと没後の詔で述べるだけで、毒殺には触れない。王莽伝によれば、平帝が病むと王莽は身代わりを願う祈りの文を作り、金の箱に納めた。のちに翟義が王莽に対して挙兵したとき、檄文で王莽が平帝を毒殺したと訴え、漢兵が同じことを言い立てると、王莽はこの文を開いて群臣に見せた。資治通鑑は、王莽が臘日に献じた椒酒に毒を入れ、そのあと平帝が病んだと地の文で書いている。
在位中の出来事(7件)
大赦前1年10月元寿2年9月辛酉、平帝(中山王)即位時。
改元1年元号を「元始」とする
大赦1年元始元年5月丁巳朔。
被反乱3年陽陵任横の乱
大赦4年元始4年2月丁未。
立后4年元始4年2月丁未、王氏(王莽の娘)を皇后に立てる。
大赦6年元始5年12月丙午、平帝崩御時。