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処刑された中国の皇帝(34人)

365人のうち処刑されたのは34人(9.3%)です。時代の順に全員を並べています。

死因は正史の本紀・列伝の記述から1人ずつ分類しています。暗殺・処刑・戦死・自尽の4つを合わせて「非業の死」と呼んでいます。

処刑された中国の皇帝(34人)
皇帝没年齢
更始帝玄漢・更始・劉玄23–25年—
劉曜前趙・漢趙318–329年—
幽帝前燕・慕容暐360–370年35歳
高帝前秦・苻登386–394年52歳
慕容永西燕386–394年—
慕容詳後燕397年—
昭文帝後燕・慕容熙401–407年23歳
桓玄楚・桓楚404年36歳
慕容超南燕405–410年26歳
姚泓後秦416–417年30歳
赫連昌夏・五胡425–428年—
赫連定夏・五胡428–431年—
元凶劭宋・南北朝・劉劭453年30歳
劉子勛宋・南北朝466年11歳
蕭紀梁・南北朝552–553年46歳
元帝梁・南北朝・蕭繹552–555年47歳
後主北斉・高緯565–577年22歳
安徳王高延宗北斉577年—
幼主北斉・高恒577年—
劉武周定楊617–622年—
薛仁杲秦・西秦618年—
浅水原の戦いで敗れ折墌城に籠城後、李世民軍に降伏。長安に護送され幹部数十名とともに斬首された。
宇文化及許618–619年—
李軌涼618–619年—
朱粲楚・朱粲618–619年—
蕭銑梁・蕭銑618–621年39歳
李子通呉・隋末619–621年—
輔公祏宋・隋末623–624年—
討伐軍に敗れ丹陽を放棄して逃走中、武康で村人に捕らえられ丹陽に送られ、李孝恭により斬首、首級は長安に送られた。
襄王李熅唐886–887年—
劉守光桀燕911–914年—
後唐(晋王李存勗)軍に幽州が陥落し捕縛、晋陽に連行され太廟に献じられた後、赦免を乞うも許されず妻とともに処刑された。実行主体は勝者側(晋王)であり征服者による公的処断のため処刑。
後主前蜀・王衍918–925年28歳
末主西夏・李睍1226–1227年—
恭帝南宋・趙㬎1274–1276年—
弘光帝南明・朱由崧1644–1645年40歳
永暦帝南明・朱由榔1646–1662年40歳